フータロも悩めます。

犬でも悩むことあるんすよ。わんわん。

9月から学校ヤメます。5

こんにちは、フータロです。

9月になっちゃいましたね。時間の流れは早いものです。僕が不登校になったのも、9月1日からでした。

https://twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040

以前、鎌倉市図書館のツイートが話題になりましたが、死にたいくらい悩んでるなら、逃げるのも手だと思います。ですが、それも簡単なことじゃないんですよね。家族であれ、友人であれ、先生であれ、周囲からの理解がないことには安心して逃げるのは難しいと思います。僕は自分の体験からそれを強く感じたので、鎌倉市図書館の当該ツイートは、逃げてもいいという、いわば「大人からの承認」なんだと思います。僕が15歳の頃はツイッターなんてありませんでしたから、ある意味、現代だからなせる技なのかもしれません。


さて、前回の続きを書いていこうと思います。前回は、中学生最後の学期を迎えたところでした。


あ、前回書いたと思うんです、僕の記憶は多少曖昧だと。さっき思い出したんですが、学校生活の一大イベントを忘れてました。なんだと思いますか?2年生から3年生にかけてあるイベント…。そう、修学旅行です。笑

たしか2年生の2学期でしたね。もちろん?行きませんでした。不登校なのに修学旅行に行く意味を見出せませんでしたし、修学旅行先も、家族旅行なんかで行ったことがある場所だったので、それほど魅力も感じませんでした。積立金は帰ってきたらしいので、それが救いですね。笑


はい、こんな感じで忘れてることがあると思います…。思い出したら追記として書きますので、大目に見てやってください。それでは、続きです。

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3学期になると、担任や友人たちからの誘いが増えてきました。「クラスみんなで卒業しよう」ということですね。正直、そんなことに意味はあるのか?と冷めた思いで誘いを受けていたことを白状します。ただ、これまで頑なに、「学校へは行かない!」という意思表示をしてきた僕に対して、まだ希望をかけてくれるのかという気持ちもありました。どうするべきか。非常に悩みましたね。


僕は、決断します。授業時間に学校に行くことにしました。とは言っても、いきなり教室ではなく、保健室登校だったり、特別教室登校から始めました。そういえば、養護教諭の先生もとても僕のことを気にしてくれていて、ことあるごとに身体測定に来ないか、と手紙を書いてくれてました。なので、信頼できる先生に付き添われていたおかげで、この登校はさほど苦にはなりませんでした。友人たちも休み時間になるとよく尋ねてくれましたし、先生たちも空いた時間を補習に当ててくれました。


そんな登校を2週間くらい続けた頃でしたか、ついに、僕は教室に行ってみないか?と友人から誘われました。この時僕は、不思議と悩みませんでした。登校するようになってから、ある意味では覚悟を決めていましたから。その代わり、また攻撃してくるような奴がいたら、その時は…ちょっと大げさというか物騒ですが、殺してやると思ってました。いや、いま思うとちょっとヤバい奴だなと思うんですが、言い換えれば、もう逃げたくなかったんです。逃げるくらいなら、立ち向かってやろうと思ってました。


僕は、友人たちに囲まれて保健室を出ました。その時は休み時間で、たしか5限目の英語の授業に行ったんだと思います。教室の前まで来ると、さすがに心臓はバクバクです。そして教室に入ると、若干の視線を感じながら、僕は机に案内されて座りました。ああ、教室ってこんな感じだったんだなんて思いながら、僕は1日休んでいただけだったような錯覚すら覚えました。隣の席の生徒は、名前を知っている程度の仲でしたが、普通な感じに喋りかけてくれて安心しました。それに英語の授業は、僕の家まで家庭訪問してくれていた先生の授業だったので、とても落ち着いで授業を受けることができました。


こうして、僕は少しだけ、失われた時間を取り戻すことができました。翌日からは、それこそ普通どおりに通学バスに乗り、学校に行くようになりました。もちろん、先生や友人のサポートを受けながら、でしたが。とはいえ、3年生の3学期なんて、たいした時間じゃありません。2月に入れば入試があるので、僕が再び普通の学校生活を送ったのは、2週間ほどでした。笑

それでも、僕はこの2週間だけでも中学校生活を送れて、良かったかなと思っています。


そうこうするうちに、高校入試がやってきました。僕は模試なんて受けてませんでしたし、ありえないことに、どんな問題が出るのかすら知りませんでした。笑

ただ、数学と英語をひたすら勉強しました。

そして入試当日、母に付き添われて遠く離れた志望校まで行きました。母を待合室に残して、僕は教室に入りました。見渡す限り、「頭良さそうな」奴らばかり…。これには完全に呑まれましたね。こいつらは、俺とは違う!少なくとも、3年の夏休み明けに二次関数の解き方を知ったような不届き者は、俺しかいないだろうな…と思いました。

試験の内容は、覚えてません。笑

ただ母には、自信あり!と伝えましたね。こんな遠くまで付き添ってもらって申し訳ないですもん。


1週間後、合格発表がありました。しかし、諸事情から見にいくことができなかったんですよね…。なので、結果は担任経由で教えてもらうことになりました。正午すぎ、家の電話が鳴りました。僕は、出ませんでした。代わりに母が出ました。間違いなく担任からの電話です。

僕「なんだって?」、母「あんた、落ちてたって…」

はい、当然ですが落ちました。笑


それはいいんですが、高校どうしようかっていうことになりますよね。幸い、定員割れしている高校が、何校か2次募集をかけてましたので、その中から選ぶことにしました。僕が選んだのは、僕の中学校の学区から一番遠い高校でした。偏差値は、第一志望の半分以下でしたが。笑

さすがにここには合格しましたね。両親も一安心したようでした。


そして、残るは卒業式です。これはもう余裕でしたね。憂鬱さなんかなくて、むしろやっと解放された!と思いました。ただ、卒業アルバムは最悪でしたね…。1人だけ合成写真でしたから。それもかなりひどい技術の。笑

まあこれも思い出の一つだと思うことにしました。

もう気分は高校生活に向いてましたから。知らない場所で、知らない人だらけの高校生活で上手くやっていけるか。それだけが心配でしたね。


結果的に、高校生活ではほとんど問題なく卒業まで過ごしました。勉強にも、部活にも、最低限取り組みましたし、何と言っても無欠席で卒業しましたからね。信じられませんよね。笑

でも、一回休むとまた行けなくなるのでは…という強迫観念があったのは事実です。でも、一応立ち直ったのではないかなと、思います。

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以上で、僕の不登校体験は終わりです。

僕は幸い、とにかく恵まれた不登校児だったということに尽きます。そういう意味では、特殊な体験をしたのかもしれません。いろいろな葛藤を抱えながらも、何とか立ち直ることができたのも、周囲の支えがあってのことでした。必ずしも、順風満帆な?不登校ではありませんでしたが、ここで書ききれなかったことは、また追々書いていきたいと思います。


僕は、不登校であったことを後悔していないわけではありません。失ったものもたくさんあります。学力、学歴、人間関係などなど、10年経った今でも影響が残っていることもあります。ですが逆に考えると、不登校になっていなかったら、今の自分はありえないよな、とも思います。そう思えるだけで、僕の不登校体験は必ずしも悪いものではなかったのだと思っています。


後日談になりますが、4年ほど前に、文部科学省不登校児の追跡調査依頼を受けました。僕は、躊躇なく承諾しました。それはなぜか。大した理由ではありませんが、不登校って、やはりマイナスなイメージが否めませんよね。でも、そのイメージがあるからこそ不登校という道は選びづらいんだと思います。本当に辛いときは逃げるというか選択肢があってもいいはずなのに、それが悪であるかのようなイメージあるように思います。なので僕のような、ある意味では充実した不登校体験というのは、そのイメージを緩和させることができるのではないか、という思惑がありました。もちろん、僕1人のデータなんて統計にしてしまえばさしたる意味を持たないかもしれませんが、僕にできることはしよう、と思ったんです。

電話で調査員の方は、僕の不登校体験や、その後の進路、そして現状を尋ねました。僕はそれに答え、周囲の人々に恵まれていたのだと伝えました。調査員の方は、不登校を経験した人のうち、僕のような人はあまりいないのだ、と教えてくれました。確かに、僕は不登校から高校に進学し、無欠席で卒業し、大学にも進学したので、その事実だけを見れば普通の人と変わらないじゃないか、と思われると思います。ですが、「普通」なんて言葉ほどあてにならない基準はないと思います。不登校の時も、僕は自分が普通だと思ってましたし、不登校だから人生が終わったとも考えませんでした。僕にとって、僕の人生はいつでも「普通」です。悪い意味ではないですよ。


ちょっと長くなってしまいましたね…。

僕はいままで、不登校のことをこれだけ詳細に誰かに伝えたことはありませんでした。じゃあなぜいまここに書こうと思ったのか?それも難しい質問です。

僕はいい意味でも悪い意味でも、不登校体験は僕の人生に多大な影響を及ぼしていると思っています。

いま現在、僕はちょっとした心身の異変を感じ取っています。この異変が、不登校だった頃に感じた異変と似ているような気がするんですね。定かではありませんが…。

なので、ちょっと自分の記憶を整理する中で、思い出すことがあればいいなと思ったんです。あとは、単純に書いてみたかったから。そこに理由はあんまりないのかなと…。


という感じです。ここまで何日かかけて過去の話をしてきたので、いま現在の僕の状況をお話しすると、上述のように僕は心身の異変を感じています。それがちょっと日常生活レベルで支障が出てきたので、明日、人生初の精神科に行ってきます。詳しいお話は、明日の通院後に書いてみたいと思います。


初の精神科ってちょっと緊張しますね…。

良い先生だといいんですが。

それでは、また。