フータロも悩めます。

犬でも悩むことあるんすよ。わんわん。

9月から学校ヤメます。2

こんにちは、フータロです。


ブログを書いてて思ったんですが、やっぱり長い文章を書く時はPCが必須ですね…。パソコンを研究室に置いてるので、家にはPCがないんですよ。なのでiPhoneから投稿してるわけなんですが、しっくりきませんねえ…。笑


さて、前回は僕が不登校に至るまでの経緯を書いてみました。いま思うと大した経緯じゃないですが、当時の僕としては不登校になるファクターが揃っていたのかなとも思います。今回は続きです。


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こうして不登校になった僕ですが、3日間は完全に引きこもった状態でした。家族もわかってくれない、信用できない…。そんなわけで、僕は家族と接触を断つために、部屋の内部からドアを塞ぎました。鍵がなかったんですよ、僕の部屋は。普通ないのかな?

とにかく、家族が出かけた時を見計らって台所からパンを持って行ったり、夕食どきなどで自分の部屋から遠ざかっている時にトイレに行くのと水を飲む以外は、部屋から出ませんでした。それが、「もう学校には行かない」という意思表示でした。夕食のときは部屋の外に食事を用意してくれてましたが、それにも手はつけませんでした。「思ったよりも接触ないな...。」これが当初の感想でした。

ですが、初日からナーバスになったのは、祖父の存在でした。祖父だけは日中家にいるんですよね。そして、新学期に学校に行かなかったことを知ると、部屋の前で「行け!」って怒るんですよね。僕はそれにも無言で答えました。


ほんとは、僕はおじいちゃんっ子だったんですよ。両親が共働きだったので、昔は保育園の送り迎えから、一緒に散歩に行ったりと、本当によく面倒を見てもらってました。いま思うと、両親と過ごす時間よりも祖父と過ごした時間のほうが長かったようにも思います。それに、祖父は僕にすごく期待してたんですよ。テストでいい点を取ると、将来を期待してくれて、運動会で活躍すると、褒めてくれたり…。両親の代わりになってくれてました。


そんなわけで、祖父が僕の行動をようにんできるわけなんかないんですよ。それに、古い時代の人なので、学校に行かないことは、怠け以外の何物でもないと思ってたんじゃないですかね…。あとは田舎なので、当然世間体も気にしますし…。その祖父の声は、次第に泣き声に変わっていきました。部屋の前で、「お前が学校に行かないなら、俺は死んでしまいたい」って言うんです。僕は声を押し殺して泣きました。なんでそんなこと言うんだ、という怒りと、申し訳なさで仕方なかった。


そんなことが3日間続きました。その日は土曜日でした。休みの日になると、家族で揃って買い物に行くのが、うちの休日でした。僕は、家族が買い物に出たところを見計らって、水を飲みに洗面台に行きました。すると、父に出くわしました。笑

フェイントをかけられてたんですよね。しまった!と思いましたが、父は笑って、「メシは食えよ」と言い残して、今度こそ買い物に行きました。こんな対応できるんだ、とちょっと父を見直すと同時に、もうそろそろ出てもいいかな、と思えたので、僕はその日で引きこもりをやめました。これはどういう意味かというと、「家族公認の不登校」になることができたんです。もちもん、父も最初のうちは部屋から出せたからもう一歩だ!と考えたんだと思いますが、「今日は学校いかんのか?」と毎朝聞いてきましたが、行かない!と言い続けていると、しばらくして諦めてくれました。笑


あ、今回は母が出てきませんが、もちろん母も「家族公認の不登校」に協力してくれましたよ。それはまた次回書きますね。


今になって思うのは、「家族公認」なんて言ってますが、両親を始めとした家族にとっては非常な精神的負担だったことは想像に難くありません。でも当時の僕にとって、通学バスに乗ったり、教室に入ったり、クラスメイトやチームメイトと顔を合わせるということは、非常に困難でした。それを理解してくれた家族に、当時から10年近く経った今でも、感謝せずにはいられません。ほんとにありがとね。

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今日はこの辺にしておきますね。次回、不登校不登校を呼びます…。

ではまた。